第90回 それ、一体 何のための食養?

第90回 それ、一体 何のための食養?
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今日は、食養について感じた事を書きます。 不愉快に思う方は、読み飛ばしてくださいね。

排他的な食養論

私は万人に効く食事療法はないと思っていますが 薬に頼らず、
食事や生活習慣の改善で自分を立てなおす という考え方には大賛成です。

トンカツやケーキを毎日食べるような生活だったのが
玄米菜食を 実践したおかげで生活習慣病とは無縁の身体に なる。

糖尿病と診断された人が糖質制限食でインスリン不要になる。

うつ症状で悩まされていた人が甘いものを止めて、蛋白質をしっかり摂るようにしたら、
症状が改善する。

・・・医食同源という言葉もあるとおり、食が人を作ると言っても 過言では
ありません。

しかし、度が過ぎると自分の実践している方法こそ 正しいと主張する
排他的な側面が出てきます。

例えば、それをしない周りの人は愚かだと思うこと。
誰かが病気になれば「〇〇をしていないから」と、こそこそ批判し
実践しても治らない場合は「〇〇が足りていないからだよ」と 改善を求める、
考え方です。

もちろん私にだって、そういうところありますよ。
食に限らず、人は自分の進んできた道を信じたいのです。
もちろんそれを否定されるのも耐えられないのです。
頑張っている人ほど排他的になるのは仕方がないのかもしれません。

「死ぬほど健康になりたい」

 

でも、完璧な健康を求め過ぎると、
「死ぬほど健康になりたい」な〜んていう
かえって不健康状態に陥ってしまいます。

そんなストイックな考えも時には必要かもしれませんが

「健康法は今を楽しく生きる為の一つの手段」だと割り切った方が
よくないですか??

神様でも何でもない
「自分と同等の人間」の提唱した方法を何故か盲目的に信じ
「健康になるためには仕方がない」と自分に言い聞かせ

厳しく食養をしたにも関わらず、結局病気になる人もいます。

現代社会は、毒にまみれていて、何所で遺伝子が傷つき
修復されなかったのかなんて誰にも分からないし、

病気の原因が特定出来ない状況になっています。

本当にその食養が正しかったかなんて、死ぬまで判断は
出来ないんですよ。今は体調が良くなっても、何十年先も
良いとは限らないですしね。

更に、声高に一つの考え方に固執し主張する健康論者ほど、
「病気になったらお手本が示せない」
と思い、それがストレスになり病気の一因に
なることもあるのではないかと。

とりとめの無い話になりましたが
結局、何が言いたいのかというと

自分の気持に正直になればいいのかな、と思います。
誰かの言う「正しい食事」より自分優先ですよ。

本心は辛いと思っているのに、厳格にそれを行って
人生楽しくなかったな〜、なんて事になるよりも

食べたいと思った物を食べ、不味いと思ったら残し・・
ほどほどに健康を保ち、したい事をする。

それで、いいじゃ〜ん。と思う今日この頃でした。

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